スピリチュアルカウンセリング体験記 (3) 
催眠療法体験記
「あのう、選択、って書いてありますよね。自分はあまり、選択ができない気がするんです。」
資料には、“カウンセリングは、あなたの代わりにカウンセラーが選択するのではなく、あなたが選択していけるように助けるものだ”、という意味のことが書いてあった。

先生は、少し目を伏せたり、私の右隣を見たり、少し上のほうを見たりしたあとで、おっしゃった。
山「選択が、下手なほうじゃないはずなんですけどね。」
森「そうですか。」
山「今何しよう、次これしよう、と決めていくでしょう。人生の選択も、そういう小さな選択の延長線上にあるわけですからね。」
森「そうですね…」
山「…もともと、お小さい頃は、今のようではなかったそうなんですよね。」

と、伝聞のようにおっしゃるのは、守護霊の言葉ということだろう。
ここで先生は、霊的世界についての解説を一通りしてくださった。
「守護霊さんが6人おられますね。守護霊というのは、はじめからそれぞれの人についているもので、守護霊として学びをしている方々なんです。よく言われるような、死んだおじいちゃんがそのあと守護霊に、というのはまた別で…」

さっきまで、カウンセリングの時間が1時間というのは長いのではなかろうかと心配していた私だったが、それはある意味杞憂であり、スピリチュアルカウンセリングではこのように解説が入るので、案外早く時間が過ぎるかもしれないと感じた。
先生は首を完全に横に向けて目を閉じてから、おっしゃった。

山「声が聞こえるんですよね。誰だかわかりませんが、女性の声です。悪い意味ではないのだけれど、森川さんに非常に強く期待をしたんですね。その声が、他の人のために生きるようにと、森川さんに、繰り返し繰り返し言ったんですね。」

うちには祖母と母が居て、別段、博愛のような高尚なことを説く人たちではなかった代わりに、“女性は身の回りの男性を世話する側に回るもの”という考えを、口に出さずとも強く持っている人たちだったから、先生がおっしゃっているのは、祖母か母のことかもしれななかった。
とはいえ、スピリチュアルカウンセラーの人たちが想定する「誰か」の中には、もしかして霊なんかも入るのかもしれず、そうなってくると、私が特定できる次元の話ではないかもしれない。
私はこれ関して、保留のまま開いておこうと決めた。

山「あと、我慢ですね…。森川さんの守護霊さんがおっしゃるには、“この人は、今までに2回、大きな我慢をした。どうしても自分の思いを通したかったんだけれども、我慢せざるを得なかった”。ということですね。」

人生の挫折を数え上げればたくさんあり、かといって、大きく印象に残る挫折を2つあげようとすると、そのどれもが、“トップ2”と言えるほどのことではないことのように思われた。

私はこの時点で、スピリチュアルカウンセリングと一般的な心理カウンセリングにおける相違点を知った。

心理カウンセリングでは、相談者が話していることや今感じていそうなことを、カウンセラーが伝え返すので、相談者それを再び自分の内面と照らし合わせて、「そうそう、そうなんです。」と、比較的はっきりしたぴったり感を持つ。
スピリチュアルカウンセリングは、守護霊が言っていることをカウンセラーの口を通して聞くものなので、相談者は、「はあ、そうなんですか。まあ、そうかもしれないなあ」という、伝聞感とでも言うべきようなものを感じる。
つまり、
あくまで自分の考えていることを掘り下げていくのが心理カウンセリング。
一方のスピリチュアルカウンセリングは、自分について他の人の意見を聞き、視野を広げて参考にするためのものだろう。
自分と“家族”とで面接に行き、“家族”の意見を聞いているような感覚だ。

山「お子さんは?」
森「いえ。」
子どもに関しても、持ちたいとか、持ちたくないといった気持ちを選択することができず、今日まで来てしまった。
山「そうですか、おられないんですか…?、声が聞こえるから、てっきりお子さんが居られるのだろうと思ってましたけど…。じゃあ誰だろう?」

……………。
私は、誰か連れているらしい。

山「男の子か女の子か分からないぐらいの、でも、女の子なんですけどね。」

先生は、猫のように首を横に向けて、いぶかしがっておられたが、私は実際に子どもがいないぶん、霊的な子どもなんかがいるのだとしたら、それはそれで良いかもしれない、と若干うれしく思った。

そして先生の視線は、またしても私でないところにあり、私の右隣上を見ながら、軽く何度かうなづき、「あ、分かりました」とつぶやいておられる。



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に続く
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